妻です。
私は日本で看護師として10年間働いていました。10年間のうち最後の6年間は救命救急センター勤務でした。
世界一周すると決めた時、世界一周しながら色々な国の医療事情について学んだり、色々な国の看護師に会ってインタビューしようと決めました。
今回、長い道のりでしたが、やっと念願だった海外の看護師へのインタビューを実現することができました。
インタビュー実現までの道
まずは学校から一番近いNadiHospital に行ってみました。
病院の中にいたナースにインタビューを申し込んだところ、私達のボスは別の病院にいるから、そこで聞いてみて。とのこと、そして翌週ボスがいる
Namaka baby hospital へ
ボスにインタビューを申し込んだところ。
permit letter を持ってる?
と質問されました。
それが何か分からなくて色々聞いてみると、permit letter とは許可書のようなものらしく、それがないとインタビューには応じれないとのこと。
持っていないことを伝えると、メインオフィスに行って手続きし、permit letterを手に入れて、それからまた戻ってきなさい。と言われました。
メインオフィスがあるのはバスで一時間もかかる別の町。
なんとかそれ無しでお願いできないか聞いてみたものの、Must ・Should を連呼されて退散・・・
メインオフィスがあるLautoka health centreまでバスで向かいました。
ラウトカに到着しバスを降りて、Lautoka health centreを探すもののなかなか見つかりません。偶然出会ったドクターが、ラウトカヘルスセンターまで連れて行ってくれました。
Lautoka health centreに到着し、一番トップのナースの秘書に事情を説明すると、
「履歴書を持ってきてる?」と質問されました。インタビューに履歴書!?
驚きながら履歴書を持参していないことを伝えると、手書きで良いから書いて、明日出直してきなさいとのこと。困った・・・
クリスマスイブにフィジーを発つので時間がないこと、少しの時間でも良いのでインタビューさせてほしいことをもう一度伝えました。
「え?あなたのリクエストはインタビューだけ?それだけで良いの?」
どうやら、フィジーで看護師の仕事を探している日本人だと思われていたみたいです。
「それならすぐに、今日にでも可能よ。私がシスターナースボスのところに連れてってあげるから、ついてきなさい」
とボスのところに案内してくれました。
ドキドキしながらボスに挨拶し事情を説明すると。
「私はハリケーンの被害の対応で忙しいのよ。別の看護師にインタビュー出来るように調整するから待ってね」とのこと
そして別のナースを紹介してくれ無事インタビューが実現しました。
インタビュー記事の前にフィジーの医療状況について簡単にい説明したいと思います。
フィジーの医療状況
医療水準
自国で医師や看護師を養成していますが,海外転出者も多く,慢性的に医療従事者が不足しています。専門医の養成が困難で,専門医のいない診療科もあります。病状によっては,オーストラリア,ニュージーランド等に出向く必要があります。
(外務省ホームページより)
医療制度
公的医療機関では,外国人でも,基本的に無料で診療を受けることが出来ますが,多くの患者が集まり,雑然とした環境で長時間待たねばなりません。必要な医薬品も常に在庫があるわけではありません。外国人や裕福なフィジー国民は,医療費を支払う必要のある私立のクリニックや病院を受診することが通常です。
(外務省ホームページより)
平均寿命(WHO2016年度版)
フィジー:69.9歳 (113位/183ヶ国中)
日本:83.7 歳(1位/183ヶ国中)
非戦争国で治安も良いフィジー。なのにこんなに平均寿命が短いのは何故なのでしょうか。私たちが1か月フィジーで暮らしてい間でも街やバスなどで高齢者を見かけてのは数回だけでした。
新生児死亡率(WHO2016年版)
フィジー:9.6%(97位/194ヶ国中)
日本:0.9%( 2位/ 194ヶ国中)
1000人出産あたりのパーセンテージ
新生児は生後約1ヶ月未満の赤ん坊で、死亡率は1000人出産当たりに死亡する人数。
発展途上国であるフィジーと先進国である日本、医療そして国民の健康に関する問題にも大きな違いがありそうです。
世界の看護師にインタビュー フィジー編
インタビューに応じてくれたのは、
フィジー第二の都市ラウトカにある
「Lautoka health centre」で働くナース。
彼女の名前は Mere(メレ)
年齢:34歳
看護経験:10年
Qあなたはなぜ看護師という仕事を選んだのですか?
私はもともと教師になりたいと思っていました。でも、母を亡くして、そのショックで何も考えられなくなり、教師になりたいという夢もなくしました。そんな時、友人が看護学校に行かないかと誘ってくれて、なんとなく看護学校へ通い始めました。看護の勉強を始めてからも私は看護師という職業に対して情熱を持っていませんでした。しかし、プラクティカルナースとして病院で働いた初日に、私は看護師になるんだという運命的なものを感じました。そして、私はその日から真剣に看護師を目指して勉強を始めました。
Q何歳の時看護師を目指すと決めましたか?
プラクティカルナースとして病院へ行き、看護師になると決意したのは25歳の時でした。
Qどのようにして看護師になったのですか?
高校卒業
↓
看護大学(3年間)
↓
国家試験受験し合格
看護師登録
↓
プラクティカルナース(1年間)
色々な科をローテーションして働きながら学ぶ
↓
自分が働きたい科を希望し、そこで働く
このようなコースで看護師になりました。
看護大学では病院実習をしますが、私が学生だったころは、看護学生にも病院から給料が支払われていました。
(1年生:F$48, 2年生:F$68, 3年生年:F$76 全て2週間の労働に対する給料)
プラクティカルナースはインターンのようなもので、もちろん給料も支払われます。一般の看護師と同じくらいの給料をもらうことができます。 プラクティカルナースは一年間で沢山の種類の科をローテーションするので、覚えることも沢山ありとてもハードな一年間ですが、私はその一年間で看護師として働くことの喜びと看護師という仕事に対する情熱を得ました。
フィジーの看護師免許制度は2014年から始まりました。それまでは免許制ではなく、登録制でした。学校卒業し試験に合格後に看護師登録をして働いていました。
Q今までどんな科を経験しましたか
NICU(新生児集中ケアユニット)で6年間働き、その後このLautoka health centreでの仕事を始めました。新生児ケアは本当にやりがいがあって、とても好きな仕事でした。そして、希望してこのLautoka health centreでの仕事を始めました。NICUでの仕事とは全く異なった仕事内容ですが、私はこの仕事も好きで、とてもやりがいを感じています。
Q今何科で働いていますか?
今私は病院ではなく、このヘルスセンターで働いていて、地域の結核患者のケア、過疎地の村の看護師の指導、地域住民の健康管理を主に担当しています。
今日も地域の結核患者を訪問してきました。フィジーには結核患者が沢山います。
Q看護師の仕事のやりがいは何ですか?
みんなが私たち看護師を必要としてくれることです。患者さんの笑顔を見れるととても嬉しいです。
Q看護師の仕事で大変なことは?
看護師1人で対応する患者の数が多すぎることです。とても疲れます。フィジーは患者が多く、仕事量も多いのに、給料はとても低い。医者と看護師の給料にはとても大きな差
があります。そして常に看護師が不足しています。
Qフィジーでは看護師はどんなイメージを持たれていますか?
看護師という職業はとてもプロッフェッショナルとみなされて、教師や弁護士と同じくらい尊敬されています。このイメージを維持出来るかどうかは私たちにかかっています。
Qフィジーでは全国民が十分な医療を受けることが出来ますか?
可能です。
フィジーでは公的病院は診療費、薬代が無料です。(外国人が受診しても無料)
また、フィジーでは都市部と過疎地に医療格差が発生しないような、政策がとられています。私も過疎地の村の看護師への指導を行っています。もしも村の看護師や村の人々に何かトラブルがあれば、すぐに対応しています。
Qフィジーの平均寿命はどうして短いと思いますか?
(フィジー69.9歳・日本83.7歳)
NCD(Non-communicable Disease(s) )が一番の要因だと思います。
(NCD:WHOは不健康な食事や運動不足、喫煙、過度の飲酒などの原因が共通しており、生活習慣の改善により予防可能な疾患をまとめて「非感染性疾患(NCD)」と位置付けている。)
フィジー人のライフスタイルは大きく変わってしまいました。昔のフィジー人は農場や牧場で肉体労働をし、畑で育てた野菜を食べるなど、健康的な生活をしていました。しかし今は運動不足やイギリス式の食生活(野菜不足、オイリーフード)に変わってしまい、糖尿病や循環器疾患、呼吸器疾患を発病しそれによし平均寿命も短くなっていると考えます。
もしもフィジー人が昔と同じようなライフスタイルを今も送っていたとしたら、平均寿命はもっと伸びると思います。
Qフィジーの乳幼児死亡率が高い原因は何だと思いますか?
(フィジー9.6%%・ 日本0.9%)妊婦の健康管理が不十分なことが一因だと思います。
フィジーでは妊娠しているにもかかわらず飲酒、喫煙する妊婦が多くいます。
それと妊娠している妻に対して非協力な夫が多いことも要因の1つだと思います。
Qフィジー特有の疾患はありますか?
NCDとジカ熱です。
厚生労働省の海外感染症情報(2016年12月16日更新情報)では中南米カリブ海地域とともに、オセアニア太平洋諸島のフィジーもジカウイルス感染症流行地域にしてされています。
Qフィジーの多くの看護師や医師が海外へ流出していることについてどう思いますか?
私は海外で働くことはいいことだと思います。いい環境の中で働き、フィジーでは経験できない医療について学び、良い給料をもらい、幸せな生活を送ることができます。医療職者も幸せにならなければなりません。
フィジーの看護師の給料はとても安いし、労働環境も良くありません。そして、慢性的に看護師が不足しているので、その労働環境は改善されません。悪循環です。
それでも私はフィジーで働くことを選び、これからもフィジーで働き続けると思います。その理由はフィジーの人々とフィジーの自然を愛しているからです。
それが私にとってもの幸せです。
Qこれからも看護師を続けますか?
もちろん!
死ぬまで続けます。
フィジーの看護師のほとんどは定年退職する年齢になったとしても、希望して仕事を続けます。私もそうすると思います。私は看護師の仕事、患者さんを愛しているので、一生この仕事を続けたいです。
Lautoka health centreの中の様子
診察室の前の待ち合いスペース。
私が行った時には、赤ちゃんの1ヶ月検診のようなものが行われていました。
糖尿病の患者さんへフットケアの大切さを伝えるポスター
アルコールの多飲が体に及ぼす悪影響について、フィジー語で説明しているポスター
離島の診療所に送るための薬剤のストック。薬剤だけでなく、ガストリックチューブ(胃管)やバックバルブマスク(呼吸補助の道具)など様々な医療資材がストックしてありました。
センターで働くナースのデスクが集まっているオフィス。
Mereのデスク。
パソコンがないので記録が全て手書きで、とても大変らしい。
デスクの上や周辺には書類が沢山積み重なっていました。
インタビューの感想
もともとは「友達に誘われてなんとなく看護学校に入った」という彼女。それでも看護師に運命的なものを感じ、今では看護師という仕事に誇りを持って、愛するフィジー、愛する患者さんのために働いている。インタビュー中に何度も「Love」と繰り返していました。
彼女の発する言葉や彼女の思い、インタビュー中の表情には愛があふれていました。
そして、突然のインタビューだったのにも関わらず、私の拙い英語でのインタビューに優しく、丁寧に答えてくれました。
看護歴10年、集中ケアユニットで働いていたという共通点があり、お互い共感出来る部分も多く、充実したインタビューになりました。
Mereと話していると、私も日本に帰ってまた看護師として働きたいなという気持ちが湧き上がってきました。
念願だった海外のナースへのインタビューの第一回目がMereで本当に良かった。
インタビューに応じてくれたMere、そしてインタビューをコーディネートしてくれたナースボスや秘書の方本当にありがとうございました。
Mereとツーショット。
Mereとボス
ボスもとっても優しい方でした。
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